そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

ムッシュかまやつに謝れ

 朝の4時に仕事から帰って楽しみにこの本を読んで、とほほな気持ちになったよ。というわけで昨晩ご紹介しましたかまやつ女はつまらん本だった。かねかーえーせー。ってか時間返して。タイトルとか帯とかでだまされた。最初は面白いかなーて感じで読んでたけど、だんだん…。分析ぬるい。ぜんぜん「そうそう!」とか「そうだったのか!」がない。それって社会学系のホンとしては駄目でしょう。この著者が「こんな分類してみました」の先にある下心が見え隠れして、うんざりした。自分で書いたであろう巻末の著者紹介文もぜんぜんおもしろくない。

 だって、かまやつ女の対立項が「六條女」ですよ。?って思うでしょ。この六條は現役東大女子タレントとして一部週刊誌を賑わした六條華だってさ。
 かまやつ女は「自分には個性がある」と信じたいゆるだらクリエイティブ系女子(ムッシュかまやつのような帽子をかぶってるから)で、反対に上昇志向のある女をさしているらしいけど、なんか言葉としてぜんぜんぴんとこない。だってふつうの人が「六條華」って言われてなんか思いつく? 「あああの週刊現代とかで微妙なヌードになってるひとね」って出てくるか? でてこないって。現に数少ないこのブログを見てるわたしの友人は誰一人として知らないと思う。
 もうこの辺の発想がだめだ。高学歴キャリア志向のタレントならほかにもいるだろ。なんで六條なんだ。分類としても?だし、ネーミングとしてもだめだ。かまやつ女をファッションから分類してみせたなら、対立項もファッションでくくってみやがれってんだ。六條華がどんなファッションしてるかなんて興味ないし、思い浮かばないって。ちなみに全女性をおおまかに四つに分類してて、残り二つが「お嫁系」「ギャル系」。…。言葉もない。

 この本は読まなくてもいいので、ここ見てください。これでこの本の駄目さがよくわかると思う。宮台真司がとてもまともなことを言っています。反対にその次のページで六條華が語る言葉のむなしさよ。だいたい今は六條華じゃないらしい。あっそう。ほんとどうでもいい。  自分らしさを求めてぎゃくに没個性化していくということはたしかにあるけど、それに対する怒り?を女性性をなくした「かまやつ女」にだけぶつけてる。別にいーじゃん。没個性っていうならJJとかキャンキャンのファッションだっていっしょだしょ。女性性がないというか、おっさんから見て「なんかだらしねーな」「イロケねーな」と思う「かまやつ女」を槍玉にあげてるだけじゃないの? だいたい街を歩いてて「うわ!かまやつそっくり」なんて思う女の子見たことないし。会いたいね、逆に。
 とにかく突っ込みどころが満載すぎて、(しかもあえてつっこまねばならないほどの鋭さもない。ゆるいかまやつ女を責める前に著者自身の理屈のゆるさを見直せって。いちど某論文講座に叩き込んでやりたいゆるゆるな論理…。)読んでいて脳みそが悪い意味でゆるゆるになりました。だいたいサンプル数が少なすぎる。資料としてまとめて売る気ならもっと本気でサンプル集めて説得力のあるデータをたたき出せって。サンプルが少なすぎて、肝心の結論が論理の飛躍で終わってるし。著者の三浦氏はカルチャースタディーズ研究所とかいうところの主宰らしい。が、はっきりいってこれ、大学の卒業論文レベルだよ。研究所とか言っておいてこれか。これなのか。と言いたい。

 こりゃ内田樹さんのブログでも読んで脳みそ引き締めないと…。

 結局、「かまやつ女−」はアホな読者のためにゆるくしてますよってスタンスで、でもホントは著者自身がアホなせいで(…ああ、言ってしまった。)ゆるーいつくりになっているだけ。社会学系の学問をかじった程度に学んだだけの私から見ても、サンプル数の少なさは気になる。インタビューもねるい。数字だけで何かわかるとは思わないが、数を集めればそこから見える事実はある。だいたい「かまやつ女」が増えてきたってことをいいたいならそれを示すデータを出すのは学者として当然だろう。結局この人は学者っぽく見せてもそうじゃないんだよね。反対に、特に社会学的な調査をしていないであろう酒井順子の「負け犬女」は思わずひざをたたき、なにかと使ってしまう「うまさ」がある。酒井的なうまさでもって分析できないなら、せめてデータで勝負しなさい。だって六條だよ(しつこい)。アイコンに六條を持ってきた時点でその眼力には?マークがつく。

 逆にいいゆるゆる感がたまらない二冊。
私は猫ストーカー」「あみねこ」。さっそく実践したくなる、行動的なゆるゆる本。猫を街で見かけたらおっかけてみようとか。そして、あみねこ、いいんです。すごく和むし。自分で作りたくなる。これ、ゆるゆるに見せてすごく丁寧に仕事してる本なんだよね、どちらも。

 わたしはゆるさもらくちんであることを選択することもわるいことだと思わない。でもゆるくみえるつくりのなかにある厳しさを感知できない鈍さは罪だと思う。