そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

言ってみたいだけ

 会えなくて寂しかった、とか言うと今までも長い時間会わないことあったじゃない、とかえされる。
 それはまあそうで、自分でもよくわかってるけれど、そのときだって寂しくて、それを言えなかったのが今は言えるようになったから言ってるだけなのだ。
 ていうかなんかそういうことを言ってみたいだけなんじゃないの、と自分に対してどこか覚めた目で見ようとする。けれど、かつては、もっと覚めた目で見てる自分がいるはずだと、思っていたのに、やすやすと流されてもいる。

 最近の自分はあきらかに浮き足立つという言葉がぴったりで、周囲から見たらずいぶんわかりやすい行動をしている気もする。(というだけの覚めた目はいちおうあるのだが)
 まちあわせで、相手の姿を見つけたときに、ついパタパタ走ってしまうと、「走らなくてもいいのに」といわれた。
 「走っちゃったんだもん」とか「少しでも早く会いたくて」とかはもちろん言えなくて、また言わないだけの理性もかろうじて保っているのだが、そういうことが許されるキャラとか外見だったら言ってしまっていたかもしれない自分もいて、これからはそういう場面にでくわしてもケッ、とか思わないようにしないと(でくわしたことないけど)。

 まちあわせた相手の後姿が見えて、それがどこかそわそわしてるように見えるのは、そう見たい自分がいるからだ、と思う覚めた自分と、ほんとうにそう見えてる自分、というのが確実に存在していて、相手を見つけて走ってしまうのは、「そう見えたから走ってみた自分」と「そう見えたから走ってしまった自分」とがそれぞれいるのだ。

 今までだと「そう見えたから走った、とおもわれるのは悔しいぞ、と思う自分」がいちばん強くて、走りたくても、わざとゆっくり歩いたりしてたと思う。なにと戦ってたのか。でもそこで戦おうとしていた過去があるから、今の自分があるんだろうし、それはなかったことにはできない。

 今は、「って言ってみたいだけなんちゃうん」とつっこむ自分もいつつも「でも言ってみたいんだもん」と開き直る自分もいて結果「だから言ってみたんじゃい」となる。
 それはもう客観視してるもうひとりの自分からしても恥ずかしいのに、第三者がいたら、どんだけのもんだろうと思うとたまにのたうちまわりたくなるが、数年後、あるいは数ヶ月先に「まあ、あのとき冷静になろうとした自分もいたじゃん」と慰めるために、どこかで「って言ってみたいだけなんじゃない?」と思う自分を存在させているのかもしれない。