おしゃれ苦手帖
おしゃれ得意か苦手か、ときかれたら、まあ苦手です、と答える。
というか正直コンプレックスのひとつかもしれない。
昔の日記を読み返してたら、好きな人ができて、わかりやすく、服装の傾向が(女らしい方向へ)かわる自分、ということを書いていた。いじましいが、なんでそれが長続きしないんだろう…(泣)。
まあ、嘆いてもしょうがないので、冷静になって分析してみると、ひとつには、自分になにが似合うかわかんなくて、無理なおしゃれをしてたせいだと思う。
最近は好きな服と似合う服が一致してきて、好きな服を着ているときに、ほめられる確率があがった。たまーに、傾向と違う服を買ってやっぱり失敗、ということももちろんあるけれど、無理せず好きな服を着て、そしておしゃれになる、ということができてきた気がする。
あと、自分がおしゃれ、と思う服と、好きな相手がこの子おしゃれ、と思ってくれる服が一致してなかった。だから哀しいほどに、好きな人と会う時に気合入れても褒めてもらえなかったことばかりだった。まあ自分も相手もわかかった、ということにしておきますが。
今となっては、首がもげるほどにうなずきたい上司のありがた〜いアドバイスがある。
「きれいなときと汚いときの
差が激しい女はもてない」。
これは珍しくきれい目な恰好をしていたときにいわれたセリフである。
ふつー、「いつもそれくらいきれいにしてればもてるのに」って言うじゃない? そう言わなかった、ということは、そう言えなかった、ということなのだ。大人の含蓄ある発言でしょう。
そのあと、とりたてて、きれいな恰好をするようになったわけではなかったが、でも、この言葉はずっと心に残っている言葉なのだ。
コレを今、自分なりに解釈してみると、普段全然おしゃれしない人は、たまーにおしゃれすると、それが、ちょっとイマイチであっても、普段からするとかなりましなので、皆褒めちゃうのである。「どうしたの? 今日はいいじゃない!」って感じに。で、賢い人は「ああ、いつもはダメなんだな」と思って反省して、次からもう少し、ましな恰好しようとするのだが、おしゃれ初心者とか「ここぞというときのお洒落」とか思ってるすかした女(私です)は、「今日褒められた〜」って、変にとっぴなおしゃれとかしだしちゃうのである。あああ。
で、だんだんにおしゃれ度が増して行くと、皆の見る目もきびしくなって、ちょっとのおしゃれ、とかちょっとの小奇麗、くらいでは何もいわれなくなり、「ほんとうに似合う恰好」のときにだけ、賞賛されるようになる、と。
これが、入社して何年もたって私が学んだことです。
前の部署が、女性だらけで、見る目が厳しかったというのもあるだろう。あと、自分ではそんなに似合うと思っていなかったのが褒められたりとかで、自分に似合うものがわかるようになったりとか。
とにかく、男性が女性を褒めるのは難しいし(セクハラ問題だったり)、あと、うちの会社は女性を的確に褒めるだけのセンスのある人も少ない、というのもあり、なかなかお洒落度を上げるのは難しいことだったのだ。
以前は、ちょっとかわった服を着てると男性に非難ゴーゴーで、その次は、なにもいわれず、そのあとは、的確に褒められ、批判され、という部署に行き、今また、特になにもいわれない部署になったわけですが、それでもこれまでの積み重ねか、最近は「今日はおしゃれしよう」と思ったときには、それなりに褒めていただけるようにもなりました。
それから、男性にもごく自然に褒められるようになってきた気がする。
それが好きな人だったりするとすごく嬉しい。
だから昔の「好きな人ができて、いっしょうけんめいに似合わないおしゃれをしていた」自分も、成仏できる気がする。思い出すと死ぬほど恥ずかしいけど。諸先輩方にはただただ感謝です。
というか正直コンプレックスのひとつかもしれない。
昔の日記を読み返してたら、好きな人ができて、わかりやすく、服装の傾向が(女らしい方向へ)かわる自分、ということを書いていた。いじましいが、なんでそれが長続きしないんだろう…(泣)。
まあ、嘆いてもしょうがないので、冷静になって分析してみると、ひとつには、自分になにが似合うかわかんなくて、無理なおしゃれをしてたせいだと思う。
最近は好きな服と似合う服が一致してきて、好きな服を着ているときに、ほめられる確率があがった。たまーに、傾向と違う服を買ってやっぱり失敗、ということももちろんあるけれど、無理せず好きな服を着て、そしておしゃれになる、ということができてきた気がする。
あと、自分がおしゃれ、と思う服と、好きな相手がこの子おしゃれ、と思ってくれる服が一致してなかった。だから哀しいほどに、好きな人と会う時に気合入れても褒めてもらえなかったことばかりだった。まあ自分も相手もわかかった、ということにしておきますが。
今となっては、首がもげるほどにうなずきたい上司のありがた〜いアドバイスがある。
「きれいなときと汚いときの
差が激しい女はもてない」。
これは珍しくきれい目な恰好をしていたときにいわれたセリフである。
ふつー、「いつもそれくらいきれいにしてればもてるのに」って言うじゃない? そう言わなかった、ということは、そう言えなかった、ということなのだ。大人の含蓄ある発言でしょう。
そのあと、とりたてて、きれいな恰好をするようになったわけではなかったが、でも、この言葉はずっと心に残っている言葉なのだ。
コレを今、自分なりに解釈してみると、普段全然おしゃれしない人は、たまーにおしゃれすると、それが、ちょっとイマイチであっても、普段からするとかなりましなので、皆褒めちゃうのである。「どうしたの? 今日はいいじゃない!」って感じに。で、賢い人は「ああ、いつもはダメなんだな」と思って反省して、次からもう少し、ましな恰好しようとするのだが、おしゃれ初心者とか「ここぞというときのお洒落」とか思ってるすかした女(私です)は、「今日褒められた〜」って、変にとっぴなおしゃれとかしだしちゃうのである。あああ。
で、だんだんにおしゃれ度が増して行くと、皆の見る目もきびしくなって、ちょっとのおしゃれ、とかちょっとの小奇麗、くらいでは何もいわれなくなり、「ほんとうに似合う恰好」のときにだけ、賞賛されるようになる、と。
これが、入社して何年もたって私が学んだことです。
前の部署が、女性だらけで、見る目が厳しかったというのもあるだろう。あと、自分ではそんなに似合うと思っていなかったのが褒められたりとかで、自分に似合うものがわかるようになったりとか。
とにかく、男性が女性を褒めるのは難しいし(セクハラ問題だったり)、あと、うちの会社は女性を的確に褒めるだけのセンスのある人も少ない、というのもあり、なかなかお洒落度を上げるのは難しいことだったのだ。
以前は、ちょっとかわった服を着てると男性に非難ゴーゴーで、その次は、なにもいわれず、そのあとは、的確に褒められ、批判され、という部署に行き、今また、特になにもいわれない部署になったわけですが、それでもこれまでの積み重ねか、最近は「今日はおしゃれしよう」と思ったときには、それなりに褒めていただけるようにもなりました。
それから、男性にもごく自然に褒められるようになってきた気がする。
それが好きな人だったりするとすごく嬉しい。
だから昔の「好きな人ができて、いっしょうけんめいに似合わないおしゃれをしていた」自分も、成仏できる気がする。思い出すと死ぬほど恥ずかしいけど。諸先輩方にはただただ感謝です。