そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

しみこむ

 その深みにはまってはいけない、という自制心でもって事務的な口調でメールするけれど相手からはずいぶんとフランクで浮かれたメールが返ってきてしまうので、つい自制心がぐらついてしまう。

 ここひと月は、かなり「どうかしてる」内容のメールが来る頻度が高くて、大丈夫かしら、と思う。
 彼が浮かれるのも私が悩むのも春だからだなきっと。

 私自身も十分どうかしてはいて、たとえば以前だったらふとしたときに触れあった指先はみな偶然だと思えたのが、ここ最近はなにか明確な意図をもって触れられているように感じるし、といってそれがいっそ潔いまでにわかりやすい下心の勢いにまかせたものでもなく、まるで中学生同士のように、おずおずと、そしてそっと、触れるか触れないかの距離を保ちあおうとしているのだとも感じる。私たちはまだいいわけできる程度の距離をたもっている。いい年をして、いいかげんまだるっこしいのだけれど、お互いが気持ちを言葉にして確認しあってはいけない、それをしたら最後だという強迫観念にも似た自制心でもって、最後のカードを持ち続けているものだから、かえってゲームはおわりが見えない。

 そしてこの距離を保ちあう自制心までも見透かすことができて、私ははじめて自分にとても近い人にひかれているのだということに気づく。

 これまでは、趣味にも感性にも共通項を見出せぬ人にばかりひかれていて、だからこそすぐにダメなのだ、と思うこともできた。型におしこめただけの粘土は抜き取るのも元の形に戻すのも簡単だった。

 けれど今、布に染料がしみこむようにしてひかれていっているものだから、これから先どうやってこの色を抜いていったらいいのだろうと今から思う。そして時に、あまりにも、かの色が深く繊維の奥にまでしみこんでいることに気づいて、はっとする。こわいのだ。

 私は運命なんて信じない。
 あるいは、うまれかわっても、また出会うとか、どこにうまれても必ず出会えたと思わない。
 ただ近くでたまたま出会って、なにか触れ合うものがあっただけのことだから、なにも特別なことはなくて、それでいいのに。

 誰かが冗談みたいに言った、
 結婚した後に、運命の人に出会うことだってあるよね。
 という問いに、そうですよね、と私の前で答えるのは、あんまりだ。
 しみこんだ染料が深みをまし、やがてもとの色までわからなくなってしまうほどに濃く黒く広がっていくのだとしたら、やりきれない。いつかその黒さも薄れていくだろうけれど、一度染まった色は元には戻らないのだから。

 無邪気さはずるさなのだと思う自分こそがずるいのだろうけれど、それにしても無邪気すぎるその人の声に、言葉に、表情に、またしても自制心がぐらつかされる。