そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

すばらしい日々

 思っているときは起きないけれど、思ってもみないでいると、起こることがある。

 会えない日々が続く「ご近所さん」に、偶然会ったりしないかしら、なんて思っているとまず会えない。会えるはずの場所でも会えない。

 けれど、無心に歩いていると、ひょっこりあらわれたりする。

 通勤の道すがらMP3のシャッフルモードで音楽を聴きながら歩いていて、いつしかユニコーンの『すばらしい日々』にかわって、会社までの道のりあと半分、というところの交差点。

 その人が目に飛び込んできた。
 ふんわりと温かい空気のただよう春の日にふさわしい、オリーブグリーンのジャケット。
 この界隈によくいる学生風だけれど、それにしては少しくたびれた背中。
 そして、手には、白い柄のビニール傘だけ。

 まさか、と思う。
 でも、この時間、この場所、そしてそのたたずまい。
 あの人かな。そう思うけれど不思議と胸はさわがない。
 ゆっくりと近付いてみる。
 横からそっと覗き込む。

 ああ。そうだった。

 そこだけ瞬間、記憶が曖昧になっている。
 なんでか、私、持っていた傘の柄で軽く彼の腕をひっかけて呼びかけた気がする。
 なんという失礼な振る舞い…。なかったことにしたいけれど、そのときは手で肩に触れるのに、なぜだか躊躇してしまったのだった。

 彼は私に気付いて、少しわらった、気がする。
 そして、私からは、あはは。変な笑いが口からもれた。
 まともに顔が見られなかった。
 だから、そのときの記憶を辿ると、横断歩道の縞々だけがやけに鮮明なのだ。

 (近所なのに)なかなか会わないな、と思ってたら会いましたね。
 そういうと、彼がいつものように屈託なく笑った。
 私のいちばん好きな表情。
 もうすぐ、あんまり見られなくなる。

 ゆっくりと歩きながら、昨日の出来事などを喋る。
 いつだって一方的に私ばかり喋ってる気がする。
 彼は、黙って聞いて、たまにわらってくれて、そしてたまに自分のことを話してくれる。
 
 曲がると坂道、の横断歩道の赤信号で立ち止まったところで
 「あの、僕、寄るところがあるので、ここで」。
 唐突にわかれのときが来た。
 目的地まであと5分もない。けれどあと5分、続くと信じていたから、足元をすくわれた気がした。
 坂道を降りた先に何があるというんだろう。

 「じゃあ、私もそちらから行きます」
 そう言えればいいのに、
 「あ、じゃあ、ここで」。
 水溜りを飛び越えて、横断歩道に踏み出そうとすると
 「まだ赤ですよ」
 ととめられる。

 間抜けだ。
 
 体を戻そうとして、水溜りに足を突っ込む。

 間抜けだ。

 「じゃあ。」
 
 彼はやっぱり少し微笑んで、そして坂道を降りていった。
 私はその背中を見ることもなく、歩き出して、胸が少しだけぎゅんとなった。

 縁がない。そんな昔ながらの言葉が浮かんでちょっとしゅんとする。

 ふつうだったら、会えているはずの場所で、いつも会えない。
 一緒にいられるかもしれない時間にいることができない。
 そんなことの繰り返しだったから、「縁がない」、そう思うことで納得はする。

 それからしばらくして、いつもなら確実に彼がいるはずの場所へ用事があって行ったけれど、
 やっぱり彼はいなかった。
 やっぱりなあ、縁がない。
 そう思って、踵を返したとき、

 彼がいた。

 はにかんだような曖昧な笑みがうっすらと口元に宿っている。
 どんな表情を作っていいのか自分でもわかってないでしょ、な表情。
 私が苦手な表情だ。
 だって、何考えてるか読み取れない。

 あのー。

 と、話しかけられた。

 はあ。

 間が抜けた言葉をかえすと、

 これ。��ネコの日�≠フお返しです。

 と小さな紙袋を差し出された。
 紙袋には、一見するとネコに見える黒いトラのプリントが小さくあしらわれている。

 ねこの日のお返し、とはストレートにバレンタインにチョコをわたすことができなかった私が
 かこつけた日のことである。

 そのときはしどろもどろに受け取って、すぐに話しをそらして(まあ実際、別の用件はあった)、
 その場を立ち去ったのだけれどあらためて落ち着いて袋を見たら、
 袋に張られたシールに記載の賞味期限は本日である。
 えらいギリギリなナマモノをくださったものだ、と思ってよく見たらばそれは「販売日」なのだった。

 あれ。
 販売先の住所まで見てようやく気付く。

 これ、会社のわりと近所のお菓子屋さんでないですか。
 さっきの不自然な曲がり角でのわかれの謎もそこで解けてしまったのだった。
 まっすぐいけば、会社。
 曲がれば、お菓子屋さんに通じる道。

 なんという、なんという、なんという。

 私がやったことは、
 チョコとかあげてみるけど、バレンタインじゃないし、これはまあ日ごろのお礼だし、
 他にも理由がいるんなら、まあネコの日、ってことでどうかしら。
 というミエミエの取り繕いなのだから、まあいい年の大人がやることじゃないんだけども
 向こうのほうが私よりもずっと大人でずっと余裕持ってるもんだから
 「ネコの日のお返し、ってことにしてあげるけれどもさ」
 というスタンスでもって、どストレートにお返しをくれたのであった。

 そんで「トラ」なんである。たぶん。

 実のところ、どこの店か気付いたときには
 「なーんだ近所じゃん」とか思ってしまったのである。
 私はさ、わざわざ通勤の通り道でもないデパ地下行って、買ってきたのにさ、
 近所じゃん、ていうか去年も実はあなた家の近所で買ってたでしょ。
 (※ええ、去年もどさくさであげてた人ですよ…)
 とか思ったのですよ。

 でも、よりにもよってトラだよ。
 そのために、チョコのお返しがわざわざ和菓子なのね、この人は。

 あああああ!

 私は一生この人には勝てません、と思いました。
 悔しい。でも、清清しい敗北感だったりもする。

 そんでもって、ユニコーンは、学生時代の彼がわざわざ夜行バスで上京してまで
 東京でのライブを見に行った、ほど好きなバンドだったりする。

 そこにはなんの意味もないし、
 彼が「トラ」を選んだことにも、実際のところはやっぱり「近所だから」
 というほどの意味しかないかもしれない。
 けれど、あれやこれやがあわさったときに、
 震えるほどに面白い「偶然」がもたらす感動が私の身をつらぬいたのだった。