和尚がつー
師走で走ってる人ってのは和尚さんのことだそうだ。寺社関係の方に教えていただいた。
お正月、病院に入ってるふたりの祖母を新年のご挨拶がてら見舞う。
父方の祖母は、92歳になった。何年か前からもうぼけてきてはいて、東京の病院に転院することになったとき見舞いにいくと、父のことはわかるのだが私のことはわからないようだった。
ところが最近父に連れられてひと月に一度くらいの頻度で会いに行っているからなのか、私のこともなんとなくはわかっているようだった。おばあちゃん、あけましておめでとう、というと、表情のない顔がすこしだけくしゃっとなった。あ、おばあちゃん笑ったんだ。そう思った瞬間、目の辺りが熱くなった。きてくれてありがとう、と横になったままの祖母は言うけれど「もういいから、早くお帰り」と帰そうとする。また来るよと父とふたり病院をあとにした。
そこから横浜の病院へ、今度は母方の祖母のもとへ。
母が現在東京不在のため、父とふたり入院先を訪れたのだが、祖母は遠くから手を振る私に気がついて微笑んだ。
母方の祖母もまもなく米寿。自分の記憶の中の祖母は、ずっと「おばあちゃん」だったけれど、それでもわたしが物心ついてから今にいたるまでの20数年で確実に年をとっているのだ。
つい何年か前まで朝は必ず畑に出ていた祖母。けれど入院してから確実に体が弱っていっているのが会う度に確認できてしまう。はじめて病院で祖母にあった帰りの車、わたしは泣いた。
住んでいた島からはずっとずっと遠い街の病院に来て、祖母はいつも場所がわからなくなる。父も母も何度も丁寧に教えはするけれど、話す相手もろくにいない病院で祖母はますます老いているように見える。この日ショックだったことは、祖母が私の父のことが分からなくなっていたことだった。父は、毎週祖母を見舞う。母が東京に不在であっても、ひとりでも病院へとゆく。会う度に、話す相手がいない、さびしいよ、いつ島に戻れるんかいねえ、と言う姑を思ってのことだろう。
けれど、祖母は父の名前を間違えている。孫の私のことを別の人の子どもだと思っている。あなたの子どもの子どもだよ。そう言うけれど、祖母はしばらくするとまた分からなくなる。 祖母は、会う度に私をほめる。べっぴんさん、頭がいい、性格もええ。ひとの分まで祖母がほめてくれるからか、ひと様には決してほめられはしない私を、まるでお姫様のような人間だという。
なかでも祖母がほめるのは色の白さで、「色白は七難かくす」と言う言葉をうまれてこのかた何度聴いたかわからない。つまりは隠すべき七難があるということでもあるのだけれど。
女学校時代に烏扱いされたという祖母は自分が色黒なのを気にして、私が色白で生まれたことをことのほか喜んだようだ。だから会う度にそれをほめる。
べっぴんなのは誰に似たんかいねぇ。
ちょっと前まではおばあちゃんの孫だからよ、なんて軽口を叩いていた。けれどこの日は違った。
あんたさんがべっぴんなのは、○○さんの血かいねえ。
そこで出てきたのは、全く知らない女性の名前。困った私に父が笑いながら、おばあちゃんの、おにいさんのおよめさんだよ。おばあちゃんはいま、お父さんのことを甥っ子だと思ってるんだ。おまえはその子どもだと思っちゃってるらしい。
と言った。
嘘。母は年をとって祖母に似てきた。私の顔は母に、そして祖母に似ている。大学に入るとき、並んで撮った写真があまりに「一族」でなんだか笑えた。
おばあちゃん。わたしはあなたの孫だよ。私が美人なのはおばあちゃんに似たからだよ。
泣きそうになる。けれど祖母はどこかではわたしのことをやっぱり孫だとわかってもいて、その痩せた手を引いて歩く私に、「こんな小さかったの。おぼえとりゃせんかいね」と言う。そうだよ、あの小さかったあなたの孫だよ。また来るね。また来てね。
また会いに来るよ。そして何度でもわたしをほめて。そのたびに、美人なのも頭がいいのも、全部おばあちゃんに似たからだよと言うから。
今日はお正月だよ、と言うと祖母は「お正月にわざわざ来てくれたのかね」と手で顔を覆った。その痩せた手を思い出すたび、やっぱりなんだか目の辺りが熱くなるのを私はとめられないのだ。
お正月、病院に入ってるふたりの祖母を新年のご挨拶がてら見舞う。
父方の祖母は、92歳になった。何年か前からもうぼけてきてはいて、東京の病院に転院することになったとき見舞いにいくと、父のことはわかるのだが私のことはわからないようだった。
ところが最近父に連れられてひと月に一度くらいの頻度で会いに行っているからなのか、私のこともなんとなくはわかっているようだった。おばあちゃん、あけましておめでとう、というと、表情のない顔がすこしだけくしゃっとなった。あ、おばあちゃん笑ったんだ。そう思った瞬間、目の辺りが熱くなった。きてくれてありがとう、と横になったままの祖母は言うけれど「もういいから、早くお帰り」と帰そうとする。また来るよと父とふたり病院をあとにした。
そこから横浜の病院へ、今度は母方の祖母のもとへ。
母が現在東京不在のため、父とふたり入院先を訪れたのだが、祖母は遠くから手を振る私に気がついて微笑んだ。
母方の祖母もまもなく米寿。自分の記憶の中の祖母は、ずっと「おばあちゃん」だったけれど、それでもわたしが物心ついてから今にいたるまでの20数年で確実に年をとっているのだ。
つい何年か前まで朝は必ず畑に出ていた祖母。けれど入院してから確実に体が弱っていっているのが会う度に確認できてしまう。はじめて病院で祖母にあった帰りの車、わたしは泣いた。
住んでいた島からはずっとずっと遠い街の病院に来て、祖母はいつも場所がわからなくなる。父も母も何度も丁寧に教えはするけれど、話す相手もろくにいない病院で祖母はますます老いているように見える。この日ショックだったことは、祖母が私の父のことが分からなくなっていたことだった。父は、毎週祖母を見舞う。母が東京に不在であっても、ひとりでも病院へとゆく。会う度に、話す相手がいない、さびしいよ、いつ島に戻れるんかいねえ、と言う姑を思ってのことだろう。
けれど、祖母は父の名前を間違えている。孫の私のことを別の人の子どもだと思っている。あなたの子どもの子どもだよ。そう言うけれど、祖母はしばらくするとまた分からなくなる。 祖母は、会う度に私をほめる。べっぴんさん、頭がいい、性格もええ。ひとの分まで祖母がほめてくれるからか、ひと様には決してほめられはしない私を、まるでお姫様のような人間だという。
なかでも祖母がほめるのは色の白さで、「色白は七難かくす」と言う言葉をうまれてこのかた何度聴いたかわからない。つまりは隠すべき七難があるということでもあるのだけれど。
女学校時代に烏扱いされたという祖母は自分が色黒なのを気にして、私が色白で生まれたことをことのほか喜んだようだ。だから会う度にそれをほめる。
べっぴんなのは誰に似たんかいねぇ。
ちょっと前まではおばあちゃんの孫だからよ、なんて軽口を叩いていた。けれどこの日は違った。
あんたさんがべっぴんなのは、○○さんの血かいねえ。
そこで出てきたのは、全く知らない女性の名前。困った私に父が笑いながら、おばあちゃんの、おにいさんのおよめさんだよ。おばあちゃんはいま、お父さんのことを甥っ子だと思ってるんだ。おまえはその子どもだと思っちゃってるらしい。
と言った。
嘘。母は年をとって祖母に似てきた。私の顔は母に、そして祖母に似ている。大学に入るとき、並んで撮った写真があまりに「一族」でなんだか笑えた。
おばあちゃん。わたしはあなたの孫だよ。私が美人なのはおばあちゃんに似たからだよ。
泣きそうになる。けれど祖母はどこかではわたしのことをやっぱり孫だとわかってもいて、その痩せた手を引いて歩く私に、「こんな小さかったの。おぼえとりゃせんかいね」と言う。そうだよ、あの小さかったあなたの孫だよ。また来るね。また来てね。
また会いに来るよ。そして何度でもわたしをほめて。そのたびに、美人なのも頭がいいのも、全部おばあちゃんに似たからだよと言うから。
今日はお正月だよ、と言うと祖母は「お正月にわざわざ来てくれたのかね」と手で顔を覆った。その痩せた手を思い出すたび、やっぱりなんだか目の辺りが熱くなるのを私はとめられないのだ。