そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

負け犬の夜鳴き

 仕事は終らないしなんでか会社でさきいかとかせんべいとか食べて独り宴会状態なわけだが(ただし酒は無し)2時半すぎくらいからどんどん人はいなくなるし(それまでいるのもなんだけど)、妙に寒くなるし(空調切ってるから)、心細いというか虚しい気持ちになって、えーい映画でも見たれ、てな気分で、新聞で映画情報などを確認していると、読売新聞にコールドプレイが出ていた。

 ニューアルバム買わないとなあ、とかそぞろな気持ちでそのインタビューを読み始めていたら、妙に心がひきつけられた。

 彼らの最近のモットーは「なぜアインシュタインになろうとしない? たとえ、それが実現不可能だとしても。」だそうだ。

 ボーカルのクリスが言うには、「世の中の偉人は神話に彩られている。そうした神話には威嚇されるのではなく、霊感を与えられるべきだと思う。…『どうせビートルズになれなやしないのに、なぜこんなことをしている?』と自問自答することがある。でも、なれなくてかまわない。トライする。そのこと自体に価値がある」。  どうして今の世の中はこんなに負けることに慣れてしまったのだろう。負けたものに異常にやさしいように感じられる世の中だ。負けたっていいんだよ。えらくなんかなくていい。そこにとどまっていたっていい。へんな自己啓発本のコーナーにいると、私たちは、ただそこにいるだけで世の中に認められるかのような「素晴らしい世界」に生きているような錯覚すらある。でも、なんの変化もないことが素晴らしいなんて現在進行形で生きている命への冒涜だ、と思う。生きているだけで、いつも変化し続けているのだから。

「ナンバーワンになれなくてもいい」なんて考え方は実は嫌いで結局そういうやつはオンリーワンにだってなれないさと思ってたりする。(だいたい「なれなくてもいい」なんて「がんばればなれる」みたいな言い方で、本音はすでにあきらめてるのに、言葉として矛盾をはらんでいるような気がするが…)

 吉井和哉は「NATURALLY」のなかでこう歌う。

「今のオレに辿り着くまで
どれだけの遺伝子がバトン渡した?
しっかりとギュッとギュッと握りしめ
走るコース 走るコース」

 私たちは他人と競争しながら生きているのではないと思う。究極には自分との競争しかない。生きているということは今日の自分と昨日の自分がどんどんとかわって差がついていくということだ。ただ生きているだけで、今日の自分と昨日の自分は差がついていく。
 
 再び、クリス。「デビューする前、有名人は別の部屋に住む人間だ、くらいに思っていた。いま、自分が有名になってよくわかる。有名人は特別な存在じゃない。だれとも違わない」

 一見不遜にも傲慢にも思える言葉だけれど、ここには偉大な先人への畏怖の念がある。誰とも違わない、特別じゃない人間が、なぜ「特別」になるのか。それは、彼らが今のままの自分ではなくあろうとしたからではないか。ナチュラルはけっしてなにもしないことではない、という昔からの思いを噛みしめる。

 偉大な人間は先人に畏怖する。そして、前に進む。いや、偉人でなくても、偉人にはなれなくとも、私たちは、怖れをしっているからこそ、前に進めるのだ、と、進まねばならないのだと、なんとなく思った。敗れていった過去の自分をいたわっているだけじゃ、前には進めない。わたしの体は精子の段階から「戦いに勝った細胞」でできているのだから。それを忘れたらいけない。

 戦う前に敗れた敗者の美学なんて、要らない。勝ち続けたものが、いつしか戦いに敗れ誰も見ていないところで醜く倒れる。そこにだって、「美」はきっとある。