そうさおまえはスターゲイザー

スターゲイザーは星を見つめるもの、という意味で、天文学者、とか、占星術師、とか、夢想家、という意味がある。らしい。編集者は言い換えると、スターゲイザーなのかも。

希望という名の薬を。

「不幸を治す薬は、ただもう希望より外にない」
 吉井和哉の「蜜色の手紙」より。エッセイの内容自体はうろ覚えですが、この言葉だけが妙に印象に残っている。

 「おれおれ中野学校」はお間抜けな名称のわりには暴力団による「おれおれ詐欺」の手口を伝授するオソロシいスクールだったわけですが、ほんとうのことはいつもどこか間抜けだ。ホラー映画がちょっと間抜けなほうが真実味があってより怖くなるように。スパイダーマンのヒロインの絶叫っぷりも足ひろげちゃってぎゃーぎゃー叫んでるけどあれこそ真実の恐怖のスクリームでほんとに怖かったら綺麗にキャーなんて叫べないさ。

 ほんとうに不幸なときもどこか間抜けだ。わたしは自分が不幸だと思ったことはあまりないが、先日朝っぱらに田端の路上で男にバカヤローと罵られ独り置いてけぼりにされたときは犬の散歩をする付近住民にじろじろ見られて妙に間が抜けてると思った。まず時間が朝で場所が田端だ。夜で渋谷ならありがち過ぎてみっともないが間抜けではない。喧嘩のもともとのことはそれほど間抜けではなかったけれどなにより間抜けだとわたしが思ったのは男が去り際に、つまり捨て台詞「バカヤロー」のコンマ5秒後に「サヨナラッ」と叫んだことだった。  去る男の背中を見つめることもせずわたしも逆方向に歩き出した。落ち着いてはいたが、面と向かってバカヤローと罵られたことは人生にあまりないことなので心はそれなりにズタズタだった。とにかく帰らなければならないが、田端には土地勘皆無なので、闇雲に歩いて道に迷う。駅には一時間かけてたどり着いた。しかも千駄木だ。こっから家までどんだけーと思うとぐったりしようにもこれまた間抜けなことに前日後楽園ラクーアなるスパでリラックスしまくったため体は徹夜にも関わらずめっちゃ元気なんである。

 練馬区民の日記を読んでチェッカーズのことを思い出した。メンバーの死をきっかけに確執があらわになるなんてこれほどの不幸はないが、なんかこの騒動は間抜けだ。いつでも半泣きの鶴久が悪いのか、異常に老けたフミヤが悪いのか、わかっちゃいるけどオレアイダと思い込んで「ギザギザハートの子守唄」を覚えてたあの頃を思い出すからなのか、わからない。なんなんだオレアイダ。

 不幸の中にある間抜け。それはちょこっと軽い気持ちになる希望という薬なのかもしれない。不幸に浸りきるほどの不幸をわたしはまだ知らない。...