ピースそれは平和
久々に煙草を吸う。
ふだん吸わないその銘柄は最初の一口だけ少し刺激が強すぎるように思えた。思わず「キツ」とつぶやいたがかまわず吸い続ける。そうして吸い込んだ煙は思っていたよりもきつくはない。ちりちりと包み紙の焼ける音が静かなオフィスに響くでもなくただ確実に灰となる。物の散乱した部屋でひとつだけピカピカの銀の灰皿を汚すのがなんだかしのびなく、部屋を出て喫煙所の大きな灰皿に捨てた。
ヤニで黄色くなった灰皿についたフィルターは底に近くなるほどどす黒い。今吸い込んだ煙にも同じもの入ってた……。服についた残り香と口の中にべとりとはりついたニコチンの味が吸い終わったあとも私をくらくらさせた。
台風が近づく東京の朝の空は白々としているが明るくはない。雲がけっこうな速さで動き見るたびに形を変える。
たばこ好きじゃない。体に気合を入れるだけ。そう思っていたのに、さっきの一口目は強烈すぎた。気合入れのビンタのはずが脳全体をぐらぐらと揺るがし倒れこみそう。意外と吸えるじゃんという思いと裏腹に足に力が入らない。
ヤニで死んでしまえ。ぱちった煙草の持ち主にこっそり心で毒づいた。
「ヤニであなたが死んだならきっと私は泣くだろう。そしてあなたを許すだろう。その時鳩が飛んだならあれがあなたと思うかも。
ピースでなくてホープが欲しい。だけど「希望」の小さな箱は吸い終えられて握りつぶされ机に小さく転がされ。雲は変わらずけっこうな速さで流れ、外には鳥の一羽もいない。
いつか私の知らない場所で急にあなたが死んだって鳥の飛ばない日であれば私は泣かずにいるだろう。かわりに空が泣くだろう。だから死ぬならうんと先。できれば私の知らないところ遠いどこかに消えてって。そのとき手向けにあなたの好きな「平和」という名のたばこを一本線香がわりにともしてあげる。
それまで私は小さな希望、ショートホープに火をともし、あなたのくれた不幸を燃やす。」
だけどわたしはホープ吸えない。小さなホープも今の私にはきつすぎる。小さく禁煙、こっそり禁煙、誰も知らない禁煙宣言。